キタミナ

当面は日本に帰らないでなんとかやろう。

西江 翔のプロフィール

満を持してプロフィールを書いたものの、とんでもない分量になってしまったのでまずは概要を書こうと思う。

 

私とは。

 

 

(ここで筆者の写真を貼ろうと思いましたが上手く私のキャラクターを表す写真がありませんでしたので 来月までには貼り付けようと思います)

 

 

 

西江 翔

 

幼少の頃より「人と変わっている」と言われ続け、周囲の羨望の眼差しを浴びる私は周囲の人々はもちろん自分としても、将来がどんな異業者や成功者になるのだろうか と期待し続けた。

しかしふと自分がどこにでもいる社会人(よりも格段に性能の劣る)になってしまったことに働き始めた18歳の春 気づいてしまう。

 

苦悩に打ちひしがれる私。「こんな私が本当の私であるはずがない」と思い立ち、部長に辞表を叩きつけ会社を辞め、今まで無縁であったかの大学受験戦争の渦中に足を踏み入れた私。

 

今までろくにしてこなかった勉学に苦しむも努力に努力を重ね、一年間で驚異的に学力を向上させるも第一志望の大学の姑息な戦略に足を絡めとられてしまう…!!

 

例年の問題傾向から著しく外れた問題、常軌を逸した微積分の計算、現象を頭に思い浮かべることが全くできない物理の問題、試験中にやたらせき込む隣の受験生、リスニング中にやたら鼻をすする隣の受験生などの屈強な刺客達の猛攻に遭い、意識を喪失してしまう。

 

そして気が付くと私はオーストラリアにいた。

 

 

というのが概略である。

多少 読者に分かりやすく説明するために誇張した表現も見受けられるが3割は合っている。

おおよそは合っているので問題はなかろう。

もう少し詳細を確認したい方は以下のクソ長い筆者の生立ちを確認してほしい。

 

 

 

 

 

昆虫博士と称された小学生時代

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最寄り駅が車で40分という茨城の片田舎。

 

一度足を踏み入れたら二度と生きて戻ってこられなくなりそうな大きな森や多国籍の魚が共存する利根川と共に育った私は外で遊ぶのが何よりも好きな子供であった。

他の子供達から一目置かれるレベルに昆虫が好きだったので”虫博士”という栄光の称号を思いのままにしていた。ムシキングなどの昆虫カードゲームにも精力的に活動した。

 

習い事は1年生のときから剣道をしており、小学校6年間のうち5年は皆勤賞を取っているほど熱心に稽古をしていた私は少年団で一番の剣士であった。

 

 思い返すと以外に充実した小学生時代だった。

 

 

 

目と頭が急激に悪くなった中学生時代

 

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見飽きた地元の一般的な風景。

 

 

入学した中学校には剣道部がないことを入学式当日に気づき絶望していたがどうしようもなく、仲の良かった友達がこぞってバスケットボール部に入部したので私も入部した。

 

丁度この頃からネットおもしろフラッシュ2ちゃんねる深夜アニメなど中学生の脳や生活に支障をきたすほどの魅力的で有害なものを発見したことにより目と学力が急激に悪くになった。

 

友人や親から心配されるほどのレベルで悪くなり、女友達と話すことにも困難を覚えるようになっていったが柊かがみが私の携帯画面の中にいたのでなんの問題もなかった。

 

 

部活帰りにアイスボックスを食べながら友人と河川敷を自転車で並列していたとき、純粋無垢だった私と友人に異性への好奇心を起こす発端となったコンビニの18禁コーナーに展示されている非常に崇高な性の教科書を発見してしまう。

 

 

固まる私達。「おいあれ!」といった先を走っていた友人が急に自転車を止めたことによって私は食べ始めたばかりのアイスボックスを盛大にぶちまけたが怒ることなくお互い固唾をのんでいた。

「お前が先に取りに行けよ」と無言でお互いにテレパシーを送り合い、不毛な牽制を1分ほどしたのちに友人が私達の性的知識探求への歴史的1ページを切り開いた。

 

 

しかし最初の2、3ページを除き大抵のページは雨に濡れてグシャグシャになっており解読不能であった。近所のコンビニや古本屋などには大抵知り合いが勤めているのでその聖書の購入には至れず、好奇心は芽生えたもののどうすることもできなかった。

 

友人と共に河川敷で「はやく大人になりたいな」と言いながら夕日に照らされたオレンジと赤色に染まった利根川を見ていた。

 

 

 

なんの話をしたいのか忘れてしまったが、アニメやネットへの没頭したり、着々と大人の階段を登っていた。

 

 

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 その思い出の河川敷。

 

 

高校と呼べるのかあれ…!高校生時代

 

駄目学生の模範となった学生生活

 

さぁ花の高校生活だと思ったのも束の間、私のクラスには男子しかいなかった。

2度目の絶望に2週間ほどは打ちひしがれたが幸い、気の良い友人達に囲まれ3年間それなりに楽しく過ごせた。

 

勉強とは無縁といってもいいほどの奔放(といっていいのかは知らん)な学校であった。「うわっ勉強してねーよ!!」と言っていた友人達が期末テストで10点以下をとることや、見たい映画があった日には早退するのが普通であった高校であり、私も例に漏れず授業中に机の下でマリオカートやったりモンスターハンター2Gをやったりと駄目学生を謳歌した。

 

 

部活動も7月に終わり、就職活動も早期に終わったので、高校生活の終盤は放課後 近くの海岸のヘッドランドで学生服のまま友人達と釣りをしていた。

 

なかでも冬の夜釣りは最高で、ド田舎であったので光害も少なく、満天の星空のした波の音を聴きながら友人達とゆったりと話しながら釣りができた。

釣った魚は友人が課題研究で鋼材を溶接して作った自作の簡易BBQコンロで塩焼きにして食べたものだ。

 

 

いまだにあのときの空気を恋しくなる時がよくある。

 

 

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我が3年M組の教室。当初カメラを始めて間もない頃だったので少々かっこつけて写真を撮っていた。 

 

 

 

あれは部活ではなく軍隊であった…!部活動

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これが高校生活の8割を占めるだろう。

私は小学校の栄光にすがり剣道部に入部した。

 

自信を持っていた最初の3~4か月は何事も上手くいっていたのだが、関東大会を決める団体試合で痛恨の反則負けをしてしまい、それまでニコニコと笑顔をみせてくれていた顧問の私に対する態度が180度 変わってしまった。

 

強豪がひしめき合う茨城県でインターハイの可能性を垣間見たことにより顧問が一変。ヤクザになってしまった髪型も心なしかパンチパーマのような感じになってしまう始末

 

負けた私はヤクザ顧問から「出家してこい(坊主にしてこい)!!と言われたものの、出家の意味も分からなかったのでニュアンス的に髪でも切っていきゃいいんだろ、と思いお洒落ツーブロックにして翌日部活動に参加すると、顧問の額の青筋が浮かび立つのがスローモーションに見えた。

 

 

結局、私は初めて坊主にすることになり、以降2年間 卒業するまでを坊主で過ごすことになったが、これは思いのほか悪くなかった。

 

 

しかし、それからの稽古は地獄であった。

 

練習は格段ときつくなり、稽古中に粗相した者には

 

グラウンドダッシュ(サッカー部や野球部がグラウンドで練習している中 防具をつけたままトラックを走らされるという公開羞恥刑。意図がわからない)”

 

壁見地獄(ただ先生が「よし」というまで壁を至近距離で見続けるというもの。まじで意図がわからない)”

 

というTHE体罰が待っていた。どこにいたんだ教育委員会。

 

 

思春期真っ只中、女子への好奇心は尽きないものの全部活動が休みとなる定期テスト対策期間以外はほぼ毎日夜遅くまで稽古をした挙句、毎週のように他県への遠征を組まされている私達には趣味を楽しむ者も女性とお付き合いした者はおらず、ひたすら軍隊のような部活動を続けた。

 

 

そんな過酷な環境下、団結してなんとか誰一人欠けることなく3年間やり遂げようと誓い合った私達 剣道部員は鬼教官 顧問をこらしめる簡単な漫画を作ったり、ジャパニーズマフィア  顧問に似せたキャラクターステッカーを大量に作り顧問の車のバンパーの下に貼り付けたりしてストレス解消する以外に他はなかった。

 

 

ちなみに大人しめな友人がステッカーを貼り付けている時に顧問が見つかり、大変なことになったらしいが彼は最後まで共犯者の私やほかの友人の名前は出さなかったらしく、いまだに久々に顔を合わせるとその話になる。見上げた男である。

 

 

そんな理不尽な指導と無謀とも思われる過酷な練習の末、膝や肘を負傷した者たちは少しでも休養期間が伸びるように「肘 治療」ネットで検索した後にそのページに書かれていることの真逆のことをして各々が適度に負傷した部位がもう少し深刻な容態になるように各自 必死に努力を重ねた。

 

 

完璧に壊れてしまっては意味がないので”ちょうどいい具合”に故障させるために部員が一同になって複雑な筋肉、神経や骨についての研究を重ね、気づけば部員の骨・筋肉IQは跳ね上がっていった。

 

 

 

ついに迎えたインターハイ予選前に私は左膝の半月板を損傷してしまい、遠くから彼等の試合を見守った。身から出た錆という格言を体現したのが私であった。

 

一喜一憂しながら順調に勝利を重ねていたのだがベスト4をかけた試合で惜しくも負けてしまった瞬間、あの過酷な練習から解放されたという安堵からか、それとも もうこの部員達と剣道ができないことへの寂しさ、そして私があの場所で一緒に戦えなかったという後悔からか涙が止まらなかった。

 

同期の部員達からは帰りのバスの中でいじられた。貴様等だって泣いていただろうが…!と思ったが30分もしないうちに皆、疲れから眠りに落ちていた。

 

 

その日の夕日が今までの人生の中で一番 赤かった。

 

 

 

 

思い返すと高校時代は剣道部での生活以外の思い出がない。

もう一度 剣道部にはいるかどうかと言われれば断じて否 だが、今はそれほど後悔はない。

 

 

 

割と最高だった社会人時代

 

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母校からはお世辞にも評判の良い話を聞いたことがあるとはいえず、Yahooニュースで”教育困難大学”という限りなく最低な汚名を命名された大学行く者たちが多かったが、流石に行く気にはなれなかったし特に勉強したいこともなかったので、高校卒業後は晴れて横浜で会社員となった。

 

 

職種はプラントエンジニアリング。

聞き覚えもない方が大多数だと思うので、簡単に説明すると

 

化学製品や石油製品などを生産する工場のことを私たち 建設業界では”プラント”と呼ぶ。

このプラントには2年に一度のマイナーシャットダウンメンテナンス、4年に一度のメジャーシャットダウンメンテナンスという大掛かりなメンテナンス工事があるのだ。

 

 

このメンテナンス工事はそれは大きなもので、石油プラントを一日止めようものなら何億円ものお金が発生しなくなってしまうのでJ〇日鉱日石エネルギーさんや〇光興産株式会社さんらの顧客は一日でも工期(メンテナンス期間)を縮めようとするが、メンテナンスを受け持つ会社は既に予算調整の段階で結構ギリギリの工期を提出しているのだ。

 

そのため、メンテナンス期間(工事期間)はその短い工期のため、昼夜問わずに働き続けるため かなりの激務となる。

 

 

ちなみに私が勤務していた部署は、CADというものを使って図面を書いたりもするが、ほとんどはこのシャットダウンメンテナンスを担当していたので会社の他部署からシャット部隊という異名で呼ばれていた。かっこいい。

 

 

 

 

こちらの一般的なひと月の給料明細を見てほしい。

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割増時間           120.9  時間

深夜割増時間         7.5   時間

日曜割増時間         51.4    時間

合計超過勤務時間       179.8       時間

 

 

 

労基も真っ青な超過勤務時間である。

一年の大半は地方のプラントに行き、このくらいの超過勤務をこなす。

もう一度言うが我が部署は”シャット部隊”という異名で呼ばれ、部署の人間は”ソルジャー”と呼ばれるのも納得のブラック企業仕事ぶりである。

 

これで残業代が出ていなければ紛れもなくドス黒い企業だが、幸い残業代は出ているのでグレー企業と呼べよう。限りなくブラックには近いが。

 

しかし会社の雰囲気も最高に良く、激務ではあったものの仕事は楽しかった。

 

私の仕事内容は工事の計画作成と実際の現場監督。

 

高卒で入ると年齢も非常に若いので監督として見てもらえず、年配の作業員さんにはナメられたりして非常に困ったが、ヘルメットと安全帯や腕章身に着けて現場で指揮を執るのはやりがいもあった。

 

夜に事務所で先輩達と趣味のことその他 雑多なことについて駄弁るのも代えがたく面白かった。寒い夜に先輩におごってもらった自販機のカップラーメンがこの世のものとは思えないほど美味しかった。

 

 

 

 

 

しかし、実のところ入社して3か月も経たないうちに一種の恐怖にも似たものを感じていた。

 

 

「あぁこのまま順調に年を重ねていくのか………」

 

 

という落胆と恐怖であった。

私としては先の見えないことよりも先が見えるほう怖いようだった。

 

会社を辞めるとき、始めた話した社長にしつこく引き留められたので「どうにでもなれ」と思い、思いの丈を吐露したところ、社長から「そんなに順調にはいかないよ」と言われた。

 

 

たしかにその通り、順調にはいかないだろうとは思ったが、大体の道筋はそう大して変わらないと思った。何よりも子供の頃ははるか遠くに感じた社会人になってしまったことが私をひどく退屈に、そして恐怖を与えた。

 

 

会社員としての生活には何ら不満もなかった。良い同僚や先輩、上司のいる私にとってこの上ない素晴らしい会社だったと今では思う。

 

しかし会社員として生きていくことに激しい違和感があった。

自分が何をしたいのかは全く分かっていなかったが。

ただ単純に会社員としてではない、一般的ではない人生を歩みたかったのかもしれない。

 

 

違和感は拭いきれずに会社員として3年間が経ったとき 会社を辞めた。

 

 

 

 

人生の分岐点 浪人時代

 

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寮部屋の勉強机。薄暗いくらいが超集中できた。

 

会社を辞めるだろうと決意した入社して3か月が経った頃、ただ漫然と「大学に入りなおそうか」と思いつき、それからの2年と9か月間、節約に節約を重ね、仕事柄 残業もたくさんあったので高卒でありながらも約800万円を貯金することができたので、晴れて河合塾で浪人生としての生活を始めることができた。

 

 

せっかくもう一度勉強をやり直せるのだから、誰もが予想だにしない学歴を手に入れようと思い立ち、河合塾に入学して早々に最難関国立大学の最難関学部を目指そうと思い立ったが、時間などを鑑みて私立大学を選んだ。

 

 

そして一年間 平均して13時間を勉強に費やし、記録用に買ったストップウォッチは半年で充電が切れた。

間違いなく私が今まで生きてきた中で一番 努力をした期間であった。

 

 

前述の通り、仕事量は尋常ではなかったが、会社員として最後の一年間は何とか体が激務に順応し、合間時間を見つけては基礎的なことを勉強をした。

 

私は計算がすこぶる苦手であったので私立中学試験対策用のドリルを買ってひたすら解いた。

小学生ができる計算すら解けねぇ……と挫折感に打ちひしがれながらも、なんとか仕事の合間時間を見つけて計算したり、英単語を覚えたりした。

 

 

 

そんな最後の一年間があったのだから、すぐにいい結果を手に入れられるだろうと思ったが、現実は残酷なものだった。

 

こちらの私が初めて受けた模試の結果を見てほしい。

 

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偏差値48.1………

 

しかしチューターと呼ばれる生徒の相談役の女性が「西江君の場合、模試とか受けるの初めてだから仕方ないよ。それに結果は思っているよりも後に出てくるものですよ。」と声をかけられ、授業の予習、復習をしっかりとやり、それ以外にも自分で工夫して勉強した。

しかし一向に結果は出ず、第一回記述模試、第二回全統マーク模試そして第二回記述模試と続けざまに悪い結果を出していた。ほかにも代ゼミや駿台の模試を手当たり次第に受けるも無残な結果に終わった。

勿論 結果はE判定。

 

 

これにはさすがに凹み、初めて勉強が上手くいかずに学生寮の屋上で泣いた。

悔しさもあったと、今まで感じたことのなかった将来への不安の波がどっと押し寄せてきたような気がした。

 

しかし、誰にも頼ることはできなかったので1時間ほど号泣してから自習室に戻り、勉強を続けた。あれは辛かった。

 

 

 

その2か月後に行われた第三回の全統マーク模試で初めて偏差値55を超えた。

 

「たかだか偏差値55かよ…」と思われる方もいるだろうが私にとっては今までに貰ったなによりも嬉しかった。

努力という目に見えない、存在するかもわからない、そもそもできているかも分からない不明瞭なものが生まれて初めて結果として見えた気がしたのが、その模試結果であった。

 

 

 

 

そして最後の第三回記述模試ではさらに驚きの結果だった。

 

 

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英語    偏差値74.5

数学Ⅲ   偏差値70.6

物理    偏差値74.1

化学    偏差値78.0

理系    偏差値74.3

 

すべての教科で偏差値70を超えた。全国でもトップクラスの成績だ。

チューターの方もとても驚いていた。クラスの成績優秀者の欄にも名前がのった。

 

 

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最初は雲の上に見えた慶應義塾大学だってこの結果。 

 

 

寮の自室に帰ってから、口を枕に当てて思いっきり叫んだ。それくらいの喜びだった。

何事かと思った隣の部屋の人が飛んできた。あのときはすまなかった。

 

 

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 ちなみにその時の模試結果はいまでも財布の中に入れて持ち運んでいる。

私にとっては持っているだけで自信をもらえるアイテムなのだ。

 

 

初めてのセンター試験でも悪くない結果を出し、滑り止めの大学には合格。

 

 

 

肝心の本命大学の入試試験。

 

 

得意科目の英語、物理の手ごたえは十分にあった。

しかし数学と化学がパッとしない………

あんな難しい複素数平面の問題なんて今まで出してなかっただろが……というかまず今年は分量が(省略

 

 

 

 

 

 

 

 

そして2週間後、不合格の通知が来たときは心臓をぎゅっと握られたような痛みを感じた。

 

 

 

これには立ち直れなかった。さすがに一人では背負い込めず、寮長には話を聞いてもらったが、あまりの悔しさから寮長がドン引きするくらい泣いた。

 

誇張表現でもなんでもなく、突っ伏せて泣いた、の机には涙の水たまりができ、ティッシュで拭こうとしたら寮長に「拭くなッ!! 今 写メ撮っから!!」と言われた。

 

流石に言い返す気もなく、私が泣き崩れてる前で寮長が私の涙の水たまりをカシャカシャと撮る訳の分からない状況が数分つづいた。あとあと寮母さんに告げ口しておいた。

 

その後、色々と深いような感じのことを言ってもらい、励まされ何とか残りの大学入試を順調に合格することができた。

 

「拭くなッ!! 今 写メ撮っから!!」には正直「何考えたんだこの人…」と愕然としたが、今でも寮長とは親交がある。

 

 

 

その後なんとか体制を立て直した私は結果的に、第一志望ではないものの希望している学部に何校か受かることができた。

 

 

 

しかし、第一志望の大学とは授業料が大幅に違い、入学するか否かを1週間ほど悩んだ。なんだったらもう一年間 浪人しようかという案を脳裏をよぎった。

 

 

私の尊敬する河合塾の教師陣が言っていた

 

「何故 君たちは第一志望の大学のその学部に行きたいのかを考えなさい。」

 

という言葉を思い出した。

 

私がその大学のその学部を目指そうと思ったのは、そんなに大きな大義があったわけではなかった。

この学部に入れたら、みんな私を見返すだろう、給料も多いから好きなことができるだろうとかの通俗的なことだったように思えた。

 

通俗的と言ってしまったが、私はそういう理由で大学に入る人を非難するつもりはない。

 

 

しかし、私にとって第一志望の大学でなく、授業料も非常に高い大学に入る理由にも、もう一年間 浪人をする理由にもなり得なかった。

 

 

 

そして結局 大学へ進学することはなかった。

 

 

 

親はがっかりしていたが、話し合いで解決する自信はなかったのでA4用紙12枚にも及ぶ思いのたけと大学へ進学しない理由を書き連ねた手紙を送り、最終的には納得してくれた。

 

 

父さんが「お前はどういう人間になるのかなぁ」と遠くを見ていたのが印象深い。

 

 

 

他の人から見るとこの一年間で何一つ残らなかったかのように見えるかもしれないが私としては

  • 好奇心が爆発的に上がった
  • 読書と勉強が好きになった
  • 今までとはまったく別タイプの友人達と出会った
  • 偏差値が上がったことによる一種の成功体験を経験できた
  • 自信がついた(何についてかは曖昧)

など、この先の人生にとても有意義なことを学び、手に入れることができた。

目に見えないことの方が案外 重要であったりすることもあるのだ。 

 

 

 

目標達成とはいかなかったものの、壊滅的であった最初の学力から現状を客観的かつ緻密に分析し、計画を練り上げ最後まで精一杯の努力をした私を誇りに思う。

 

 

 

 そして現在

 

 

私はいまオーストラリアにいる。

 

予想だにしない展開だ。しかしこれでいいのかもしれない。

予想できない方向に行く人生が私は好きである。

 

 

「If you don't knouw where you are going, just go」

 

というのは”不思議の国アリス”に出てくる言葉である。

 

「どこにいっていいのかが分からないのならばどこに行ったっていい」というのが和訳。

 

その一文を見たときに、私はどこか異国に旅立とうと決断することができた。

 

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初めての異国はフィリピン。Tシャツは彼等から貰ったものだが政治的な要素があるらしく、これをきて現地のショッピングストアで買い物をしていたら年配の男に絡まれた。

 

 

とくに今のところ、これといってやりたいことは見つからない。

 

とりあえず、今までの過酷な人生の波にのまれていたので女性とお付き合いしたことがなかった(決して”できなかった”わけではないと信じたい)ので、まずは女性と付き合うことを目標にしたいと思う。

 

 

 そしてこのブログが特に受験勉強に失敗した学生や、将来に不安を持っている方、やりたいことはないけど 現状に不満のある方やどこかに旅立ちたい人のお役に少しでも立てるような素晴らしいメディアになるように尽力したい。

 

 

 

 

 

 

非常に長くなったが以上を私のプロフィールと呼ばせていただこう。

 

この9000字にも及ぶ平坦な文章を最後まで目を通していただいた読者には感謝いたす。

良い一日を。

 

 

 

 

 

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